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点字こうめい

人間登場

点字こうめい 88号

パリ・パラリンピックでメダル獲得めざす

「チーム一丸となってメダルを勝ち取る」と意気込む川村怜さん(右から2人目)
「チーム一丸となってメダルを勝ち取る」と意気込む川村怜さん(右から2人目)

ブラインドサッカー選手の川村怜さん

 「たくさんの応援のおかげで、パリ・パラリンピック出場を勝ち取ることができた。メダル獲得という大きな目標を掲げ、挑戦は始まっている。ベストパフォーマンスを発揮し、日本の勝利に貢献したい」。こう語るのは、2015年からブラインドサッカー男子日本代表のキャプテンを務める川村怜さんです。現在は、仲間と立ち上げたチーム「パペレシアル品川(現・品川CCパペレシアル)」に所属しています。ブラインドサッカー日本代表は、21年に開催された東京パラリンピックで開催国枠として初出場。自力での出場は、今夏のパリ大会が初めてで、「メダル獲得」との目標に向けて日々、練習に励んでいます。

 5歳の頃、眼球内の組織に炎症が起こる「ぶどう膜炎」を発症した川村さん。小学1年生の時にサッカーを始めましたが、徐々に視力が低下し、サッカーを断念。中学、高校では陸上部に所属し、中距離の選手に。「サッカーを続けたい気持ちはあった。陸上では、特別に足が速いわけでもなく、長距離も苦手だったから中距離にした。日々の練習で培った脚力と精神力は今も生かされている」と当時を振り返ります。

 年齢を重ねるにつれて視力が失われていく中、大学進学を機に出合ったのがブラインドサッカーでした。「自分もチャレンジできるんだ」と奮起。しかし、視界ゼロの状態で音や声を頼りにプレーするのは簡単ではなく、川村さんは「初めてピッチに立った時は、走ることもできず、自分がどこを向いているのかもわからず、何もできなかった」と話します。チームの仲間と練習を重ねていくうちに、徐々に上達し、できなかったことができるようになっていきました。「ブラインドサッカーは、仲間と話し合って、戦術や共通言語をたくさん作るなど、とにかくコミュニケーションが大事。当時のチームは、男女問わずいろいろな人が集まっていて、とにかく楽しいチームだった。仲間のおかげで、ブラインドサッカーを楽しむことができた」と語ります。

 13年3月、川村さんは日本代表選手として初招集されました。初めての試合はブラジルとの親善試合。2点先行されながらも終盤に代表初ゴールを挙げ、さらに、このゴールが日本代表唯一の得点となりました。その後も14年の日本選手権でMVPに輝くなど、着実に実力をつけていきました。そして、今年3月に行われた日本選手権決勝戦では、川村さんが所属する前回大会優勝のパペレシアル品川と、free bird mejirodai(フリーバード目白台)が対戦。パペレシアル品川は前半に1点先行されるも、後半開始直後に1点を取り返し同点に追いつくという、両チーム一歩も譲らない白熱した試合を繰り広げました。川村さんのスピードに乗ったドリブルで相手を翻弄するプレーに、客席から大きな歓声が上がっていました。試合は惜しくも3対1で敗れ準優勝。川村さんは「もったいない失点だった。自分がもっとゴールに絡めていければ」と悔しさをにじませます。

団結、競争し高め合う

 パリ・パラリンピックに向けて川村さんは、「本格的に代表シーズンを迎える。日本のブラインドサッカーは中学生や高校生など、若い世代の選手のレベルが上がり、強くなってきた。代表のメンバーが団結し、競争して、高め合っていけたらと思う」と語り、「たくさんの人の前でプレーするのは、実力以上のものを発揮できるチャンス。応援に応えるためにも、さらにレベルアップしていきたい」と笑顔で抱負を語ります。川村さんのさらなる活躍に期待が高まります。

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