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「公明が日本経済を救った」
1997年11月、日本経済は“沈没寸前”の危機的状況にあった。北海道拓殖銀行、山一証券といった金融機関が相次いで破綻。同7月のアジア通貨危機の影響で不況が深刻化し、日本は未曽有の経済危機に直面する。
市場からは、著しい円安・株安の危険信号が発せられ、財政出動による景気の下支えが求められていた。にもかかわらず、当時の自民、社民、さきがけ3党連立政権は真逆の緊縮財政にかじを切るという過ちを犯した。景気は凍りつき、“日本発の世界恐慌”の恐れが現実味を帯びていった。
98年7月、金融危機の克服を最大テーマとする臨時国会、いわゆる「金融国会」が幕を開けた。最大の焦点は、金融機関の破綻を未然に防ぐために公的資金を注入する「金融早期健全化法案」。すでに単独で政権を担当していた自民党が直前の参院選で過半数を割り込んだため、成立には野党の賛成が不可欠だった。
野党第1党の民主党は無責任な批判を繰り返すばかり。このため、参院で野党第2党の公明党がキャスチングボートを握り、修正を受け入れさせた上で法案への賛成を決断。同10月16日の成立につながった。
公明党が賛成した理由は、銀行と取引のある預金者や中小・零細企業を救うためだ。ここでも「国民のために何が必要か」を根幹に政策判断を行った。同法によって多くの銀行が破綻を免れ、日本経済が底割れする最悪の事態は回避された。
識者から高い評価
同法成立時に大蔵省財務官だった榊原英資氏は退官後の99年7月、テレビ番組に出演し「これで日本は救われた」と強調。著名な経済学者で政府税制調査会長などを歴任した加藤寛氏は、金融危機を脱し、景気が回復基調となっていた2006年10月に、こう振り返った。「公明党の対応が日本経済を救った」と。